2019-07-03から1日間の記事一覧

人格主義・人格関係主義の系譜

人格主義・人格関係主義の系譜 人格主義→人格関係主義(対話主義)→「二、三人の神学」 4世紀 カパドキアの三教父(四世紀後半)→東方教会に継承される 12世紀 リカルドゥス(12世紀・スコットランド)→ 15世紀 ジョン・カルヴァン(1509-1564)→ 18世紀 ゲ…

補完神学の提案 参考文献

キリスト教思想における存在論の問題 有賀鐵太郎 創文社 マルチン・ブーバー 平石善司 創文社 人格《ペルソナ》の哲学 稲垣良典 創文社 人格と人権 大木英夫 教文館 現代人はキリスト教を信じられるか ピーター・バーガー 教文館 なぜ日本にキリスト教は広ま…

補完神学の提案・結論

「二、三人の神学」は、「公同主義」と「個人主義」ともう一つの「二、三人主義」を提示することで、神学に対する自由度が増し、日本宣教への対応度も増し、宣教の試み・冒険に対する寛容さも増すことではないかという、日本の福音派向けの補完神学の提案で…

補完神学の提案53

最後に、「個」と「二、三人」と「共同体」の三つの枠組みはどのように補完し合うのであろうか。2000年の按手礼論文では、個のデボーションと共同体の説教と二、三人の分かち合いというふうに提示し、この三つの相互作用の重要性について述べた。例えば、「…

補完神学の提案52

「神との人格関係主義」について述べる時、「神秘主義」と「対話主義」の境界線を検討せねばならない。明確な境界線を二つの間に引くのは困難であろう。いや引いてはならないだろう。パウロの場合は、この「対話」する関係こそが、「エンクリスト」なんだと…

補完神学の提案51

私は確かに「人格主義」哲学者たちの影響を受けてきた。しかし私の考える「人格関係主義」は「人格主義」という呼び名よりも、「人格関係主義」とあえて区別して呼びたい類のものである。「人格関係主義」とあえて言う理由は、三位一体における位格間の人格…

補完神学の提案50

大人数から生じる神秘主義的な感覚は非人格関係的なものである。大人数のなかで神とつながろうとするときに、どうしても神秘主義的なものが生じるが、それは少人数での人格関係的な対話とは異なる。

補完神学の提案49

49、であるから、美しさ(芸術性)と人格関係性は必ずしも一体ではない。美学を極めることと人格関係性を極めることは一つではない。しかし、二、三人の関係性から生じる美学というものも当然あるに違いない。であるから、非人格的な四人以上の人数での美学…

補完神学の提案48

「二、三人の神学」は、確かに宣教的であるが、公同礼拝的ではない。私は礼拝音楽の豊かさというものは、体制教会の公同主義から生じたものであることを疑わない。「二、三人の神学」の外に天使の声があることも疑わない。新約における音楽芸術はクリスマス…

補完神学の提案47

さて、また私は一方で、教会音楽に関心を持つ牧師でもある。私の「二、三人の神学」はラルシュには近づいたが、私が夢見る教会音楽からは離れてしまいそうである。私の夢見る教会音楽はいつも大きなものと結びついてしまう。つまり非人格的な多人数と結びつ…

補完神学の提案46

2018年に日本語版が発行された、スタンレーハワワースと、ジョンバニエの「暴力の世界で柔和に生きる」は私の「二、三人の神学」を支援してくれそうに思う。確かにラルシュに注目したハワワースに通ずるものがある。私は霊性神学から見てきたジョンバリエと…

補完神学の提案45

私は確かに、分離主義的に、「二、三人の人格関係性」と、それ以外のものを分けようと考えている。福音主義が昔からよくしてきた手法である。イエスさまとの関係性以外のものをとりあえずよせつけないという手法である。同じ手法で、私は、イエスさまとの二…

補完神学の提案44

東京時代の恩師に、先日、私の「二、三人の神学」をぶつけたが、残念ながら私の言葉足らずで届かなかった。しかしその恩師は「自分の神学を温めておきなさい」とだけ言われて、私を励ましてくださった。うれしいことではあるがわかってもらえなかった。わか…

補完神学の提案43

ここから、「二、三人の神学」の実際的な面を触れていこう。「二、三人の神学」から引き出される、フォーカスせねばならない点がある。この内容は、2000年の按手礼論文に記した内容である。その内容は次のようなことである。三者間は媒介不能な領域がある。A…