人格主義・人格関係主義の系譜
人格主義・人格関係主義の系譜
人格主義→人格関係主義(対話主義)→「二、三人の神学」
4世紀 カパドキアの三教父(四世紀後半)→東方教会に継承される
12世紀 リカルドゥス(12世紀・スコットランド)→
15世紀 ジョン・カルヴァン(1509-1564)→
18世紀 ゲオルク・ハーマン(1730-1788)→
20世紀 カール・バルト(1886-1968)→
1927年 マルティン・ブーバー(1878-1965)「我と汝」
エマニュエル・ムーニエ(1905-1950)
カール・ブルンナー(1889-1966)(ブーバーに注目)
ジョン・マクマリー(1891-1976)(スコットランドの哲学者)
(ブレザレン→クウェーカー)
エドワード・ファーレー(1929-)
トニー・ブレア(1953-)(政治家・マクマリーに注目)
1985年 J・ジジウーラス(1931-2003) (ギリシャ人哲学者・マクマリーに注目)
1991年 ガントン(Gunton C.E)(1941-)(マクマリーに注目)
The Promise of Trinitarian Theology, Edinburgh 1991
ガントンは、スコットランドの哲学者Jマクマレーの「関係における人格」という新しい人格概念に着目する。「自己とはただ他者との動的な関係の中にのみ実在する。自己とは他者との関係によって構成されるものである。それは関係の中に存在を持っている。」そこでは、他者の実在に自己が溶解してしまうのではなく、あくまで相互の関係の中で、それとの均衡を通して初めて自己は責任ある人格的主体へと成長する。もし多数の他者の中に自己が溶解してしまうとすれば、それは集団主義になる。そして実は集団主義とは、自分のことしか考えない、人格の未熟な個人主義が無自覚のうちに陥りかねない社会現象なのである。
2001年 カーク・パトリック(Kirkpatrick.F.G)(マクマリーに注目)
The Ethics of Community,Oxford T・F・トーランス
2006年 ジームズ・フーストン(1922-)「喜びの旅路」
「日本語にperson(人格的な交わり、関係の中で生きる人間)にあたる言葉がないということは、キリスト者に深刻な問題を突きつけます。なぜなら、恐れて、遠く離れることによってではなく、愛情を表すことによって、私たちは神を礼拝し、神を知るからです。」(ジェームズ・フーストン)
2009年 稲垣良典(1928-)「人格《ペルソナ》の哲学」
2011年 大木英夫(1928-)「人格と人権」キリスト教弁証学としての人間学
2018年 スタンレー・ハワワース(1940-)「暴力の世界で柔和に生きる」
私は、結局、ブーバーとマクマリーから限りない宝を頂くこととなったが、もう一方で、三位一体という枠組みによって、それらの宝を制限する道を選んだ。私の考える三位一体とは、1は1、2は2、3は3、4以上は4以上、という、それだけである。また個があり、二者関係があり、三者関係であるという、それだけである。