二・三人の神学(按手礼論文13)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)

 それでは、ここから、「二者関係のある共同体」「三者関係のある共同体」について述べよう。しかし、なぜ関係論的に三位一体を捉えた上で、それだけではなく、「二者関係」と「三者関係」を区別して論じようとしているのか。実はこの論文の特徴は、あえて「二者関係」と「三者関係」を分けて考えるところにある。私は、ここで、人間関係の経験から生じた「二者関係」「三者関係」なるものがあって、その人間の経験を踏まえて、神の三位一体に読み込もうとしている。しかし、「二者関係経験」「三者関係経験」を持って、三位一体なるお方の「二者関係経験」「三者関係経験」に繋げる方法は、正しい方法ではない。しかし、たった一つの根拠がある。それが「祈り」である。

 もし、我々の「二者関係経験」が神の「二者関係経験」に通じない、繋がらない、とするならば、我々は祈りそのものを全面否定するしかなくなってしまう。つまり、我々が祈っているということ自体、神との「二者関係」を信じて祈っているということに他ならないからである。そして、私たちは、人間同士の「二者関係」のあり方、人間と神との「二者関係」のあり方、神の内なる「二者関係」のあり方を当然のごとく信じて祈ってきたのである。つまり、私たちはマルティン・ブーバーの言う「我と汝」的に神さまと対話してきたのである。ですから、子供たちに対しては、「祈りとは神さまとのお話ですよ」とわかりやすく説明するのは正しいことであると信じてきたし、また祈りの用語についても、人間同士の人格関係用語を使用することに躊躇することはなかったのである。