2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

補完神学の提案42

その点で、私はメノナイトの学者、フラー神学校教授のディビッド・アウグスバーガーから多くの知恵を得た。しかし彼の伝えてくださった知恵は二者関係に限定された知恵であった。二者関係間の知恵を追求することはご当然のことであり、それ以外の関係性は考…

補完神学の提案41

そのようななかで、私は、1990年代、人格関係というものが理解されやすい状況が生じていた。それが依存症研究であり、そこから生じた「人格関係障害」である。「人格関係障害」とは人格障害とは違う。誰にも起こり得る、関係的障害である。人格障害ならば、…

補完神学の提案40

私は二、三人の人格関係を包括する公同というものがあることを信じる。信じざるを得ない。なぜなら二、三人の人格関係でないものをすべて非人格だという理由で排除すべきではない。むしろ非人格関係という領域があるからこそ、人格関係が浮き彫りにされると…

補完神学の提案39

ここに私の「二、三人の神学」の特徴がある。「二、三人の神学」は「マイノリティーの神学」である。しかし「マイノリティーの神学」はマジョリティーを視野においた神学でもある。「二、三人の神学」は絶えず公同を視野に置く。カルヴァン派のアンチテーゼ…

補完神学の提案38

もう一方で「二、三人の共同体」から広がるネットワークとしての固有の共同体でどこまでネットワーク化できるかはわからないが、もう一方で確かに、「二、三人の共同体」ではなく大きな共同体の侵入を受けている。教会に100人が集まる時の礼拝形式は、「二、…

補完神学の提案37

しかし3人と4人の隙間を克服することにより、道は開かれていくと信じる。「固有の文化を持つ共同体」という概念は、オランダの卓越した改革派神学者、フォン・リューラーが述べているが、彼のアナバプティズムに対する否定的発言がアナバプティズムの私とし…

補完神学の提案36

私は、メノナイトの分離主義的な信念により、教会というものは、「固有の文化を持つ共同体」だと信じている。また、この「固有の文化を持つ共同体」が体制に至ることは決してない。いや体制に至ってはならない。私の知り得る限り、イエスさまのビジョンは体…

補完神学の提案35

ただ三と四の間の溝を認識することで共同体が拡大していくことを期待はするものの限りなく広がっていくことについては、不可能ではないかと信じているところに私のメノナイトとしての分離主義的な信念がある。

補完神学の提案34

確かに、四人以上であっても、二、三人の交わりのネットワークだと理解すれば、人格関係の量的広がりを説明することは可能である。つまりトライアングルのネットワークならばどんなに人数が増えても、二、三人に集中し、そこに人格関係があることを信じ、認…

補完神学の提案33

繰り返すが、私の考える「二、三人の神学」というのは、単純に、二は二にであり、三は三であり、それ以上は非人格的領域として考えるということである。つまり一般数学の定義とは違うところから始まる。理由は、人間的体験上、二、三人ならば人格関係は成り…