補完神学の提案10

10、そんな状況であるから、21世紀、極東の異教国、日本の教会としても、個と共同体のバランス取りが難しいのは当然のことである。結局のところ、現在の我々にとって、最もリアリティーのある教会共同体像は、今自分たちが通う地域教会だけということになっているかもしれない。あえて極端に言うならば、地域教会のなかの1時間ほどの礼拝だけから見る教会像だけということになっているかもしれない。もっと極端な言い方をすると、そこで語られる牧師の説教だけから見る教会像。教会像だけでなく、その牧師の世界観、歴史観、が神の御心のすべての情報源だというクリスチャンたちを作ってしまっている可能性がある。(福音主義の場合は聖書の枠組みから出ることがない、というコンセンサスで講解説教に忠実に生きようとしているのであるが・・)であるから、結果的に日本人クリスチャンが、自分の教会も描けない、自分の教団も描けない、隣の教会も描けない教会観になり下がっていないだろうかと危惧するのである。つまり世の新興宗教の教祖が地方教会に存在し、小天皇への願望のもとに動く教会像に成り下がっていないだろうかと危惧するものである。おそらく、過去より自由主義の影響の濃い体制教会の場合は、体制教会的礼拝学(リタジー)にしがみついて、公同性を自分たちなりの神学で主張し、なんとか形を保つしかなくなっているように見受けられる。