補完神学の提案16

16、しかし、視点をがらりと変えて、体制教会の「共同体」とは違う「共同体」を追求することよりも、「二、三人」と四人以上の共同体の違いを追求していくことにより、結果的に、体制教会の「共同体」とは違う「共同体」を説明できるのではないか。いや私の意図するところは、小さな「共同体」がいつしか体制共同体に変容していくのだとする一般社会学(宗教社会学)が明らかにしてきたことに対して、何らかのブレーキをかける神学がほしい、ということである。小さいままの意義、小さい共同体のネットワークの根拠がほしい。最終的に、私たちメノナイトや家の教会の居場所がほしいということでもある。小さな共同体は大きな共同体に発展していく初期の低レベルの段階に過ぎないのであろうか。小さな共同体のままでも意味があるはずだ。いや聖書はそこに注目しているはずだ。