補完神学の提案36

私は、メノナイトの分離主義的な信念により、教会というものは、「固有の文化を持つ共同体」だと信じている。また、この「固有の文化を持つ共同体」が体制に至ることは決してない。いや体制に至ってはならない。私の知り得る限り、イエスさまのビジョンは体制国家のビジョンとは全く異なる。固有の文化を持つ共同体と体制国家のビジョンとは絶対に一つになることはないし、そこに向かわない。人格関係の二、三人の共同体はネットワークで結ばれたとしても国家共同体に不本意に包括されて生き延びることはあっても、そこに向かうことはない。

補完神学の提案34

確かに、四人以上であっても、二、三人の交わりのネットワークだと理解すれば、人格関係の量的広がりを説明することは可能である。つまりトライアングルのネットワークならばどんなに人数が増えても、二、三人に集中し、そこに人格関係があることを信じ、認めていくならば、たとえ「≠」の論理を追求していったとしても、決して多元化しない。三位一体論をここに持ってくる根拠はまだ証明できないが、体験的にそう信じざるを得ない。神のペルソナを人のペルソナの体験から想像すること自体、問題を腹んでいるものの、ただ一つの確信が、我々に「祈り」というものが与えられていること、である。

補完神学の提案33

繰り返すが、私の考える「二、三人の神学」というのは、単純に、二は二にであり、三は三であり、それ以上は非人格的領域として考えるということである。つまり一般数学の定義とは違うところから始まる。理由は、人間的体験上、二、三人ならば人格関係は成り立つが、四人以上ならば、人格関係は成り立たないからである。それを象徴化させないで、そのままの二、三人で人格関係の「トリニティードラマ」を描くのである。つまり、二、三人までは人格関係用語を用いることができるが、それ以上ならば、人格関係用語を用いることができないということである。

補完神学の提案32

「≠」の論理は、三位一体という枠組みがあるならば、三位一体を二、「三人の神学」的に読んでいくなかで、三位一体を適用するなかで、多元化、断片化へのブレーキがかかるのではないか。組織神学としての三位一体は多元化、断片化へのブレーキのために必要なのではないか。異端にならないために、「≠」の論理が必要なのではないか。ただ「≠」の論理が必要であるということは、前提としての人格関係を信じる信仰がある、ということである。我々は人格関係を信じ抜く存在であるということである。これは、ただ一点、我々が「祈り」をすることができるということでしか証明されない。神と人が「≠」にもかかわらず、現に祈りをしている、ということである。この祈りを神秘主義の領域で語るのではなく、対話主義の領域で語るのである。

 

 「神が人格であるなら、神はわたしに呼びかけることができ、またわたしからも神に呼びかけることができるはずである。非人格的な究極的実在は、この「我と汝」の関係(マルティン・ブーバーの言葉)を超えたところにある。それは、経験的な自己の  跡をすべて捨て去らねば到達できない存在であって、この点こそまさに、この観点に立つすべての宗教の指導者たち(とりわけ優れた神秘主義者の多く)が唱え続けてきたことである。この観点からすると、先にわたしが挙げた原初的な宗教行動、すなわち祈りというものは否定される。もし究極的実在が非人格的であるなら、わたしは瞑想や精神の肉体の修行を通してそこに到達しようとすることはできるが、それに向かって祈るということは意味をなさない。」(「現代人はキリスト教を信じられるか」(ピーターバーガー)p52)

補完神学の提案31

そのような流れを考えるなかで、私はこのような三位一体論を用いて、歴史的になされたきた、まずは「1」を強調し、「1」の強調の後に、「1」と「1」の間に「=」の論理を引き出すの道でよかったのであろうかと思うようになった。つまり、父=子、父=聖霊、子=聖霊 父=子=聖霊、とまではいかなくとも、三位一体論も「1」と「=」で考え抜こうとする方向性から一旦解放される必要があるのではないか。つまり、今までの「=」ではなく、正反対の「≠」の論理から初めてみてはどうだろうか。つまり本当の対話というものは、一般の論理とは違う、「≠」の論理から生まれるのではないかということにも注目してはどうだろうかと考えてみた。これは初代教父時代の「否定神学」に類似しているかもしれないが、これは「二、三人間の対話」という希望に基づいた上での「否定神学」とも言えよう。

補完神学の提案30

三位一体という用語の名付け親ティルトゥリアヌスは西方教会の強力な組織化の影響下で三を強調するよりも、まずは一を強調したようである。一を強調したティルトゥリアヌスが、今の西方教会の組織強調型、体制型の教会を作り上げていったと言っても過言ではない。その流れはカトリック中世に留まることなく、宗教改革以降のプロテスタントにも及んでいく。