2019-05-28から1日間の記事一覧

補完神学の提案32

「≠」の論理は、三位一体という枠組みがあるならば、三位一体を二、「三人の神学」的に読んでいくなかで、三位一体を適用するなかで、多元化、断片化へのブレーキがかかるのではないか。組織神学としての三位一体は多元化、断片化へのブレーキのために必要な…

補完神学の提案31

そのような流れを考えるなかで、私はこのような三位一体論を用いて、歴史的になされたきた、まずは「1」を強調し、「1」の強調の後に、「1」と「1」の間に「=」の論理を引き出すの道でよかったのであろうかと思うようになった。つまり、父=子、父=聖霊、…

補完神学の提案30

三位一体という用語の名付け親ティルトゥリアヌスは西方教会の強力な組織化の影響下で三を強調するよりも、まずは一を強調したようである。一を強調したティルトゥリアヌスが、今の西方教会の組織強調型、体制型の教会を作り上げていったと言っても過言では…

補完神学の提案29

さて、そのように三位一体を舞台にして、神学しようとするとき、位格間の人格関係性における無媒介の関係性を信じる私は、私たちが知る「イエスさまの父なる神に向けての祈り」は、異なる人格間の対話であったがゆえに、対話が可能となるのではないか。もし…

補完神学の提案28

つまり、もう三位一体なるお方から社会を見る必要はない。三位一体なるお方から共同体を見る必要はない。三位一体なるお方から個人を見る必要はない。三位一体なるお方から二、三人のそのままの人格関係だけを見れればそれでよい。三位一体から直接、まずは…

補完神学の提案27

中世のトマス・アクイナス以降、三位一体を存在の類比として「共同体」を持ち出す神学があった。三位一体を存在の類比として「社会」を持ち出す神学もあった。三位一体を存在の類比として「教会」を持ちだす神学もあった。しかし三位一体はまず神ご自身「二…

補完神学の提案26

そのようななかで、これだけは、三位一体に関連して押さえておくべきであると確信した内容が、「二、三人は二、三人」ということであった。であるから、もうこの二、三人を抽象化する必要はない。あとはブーバーでいこうという思いになったのである。もちろ…