補完神学の提案34

確かに、四人以上であっても、二、三人の交わりのネットワークだと理解すれば、人格関係の量的広がりを説明することは可能である。つまりトライアングルのネットワークならばどんなに人数が増えても、二、三人に集中し、そこに人格関係があることを信じ、認めていくならば、たとえ「≠」の論理を追求していったとしても、決して多元化しない。三位一体論をここに持ってくる根拠はまだ証明できないが、体験的にそう信じざるを得ない。神のペルソナを人のペルソナの体験から想像すること自体、問題を腹んでいるものの、ただ一つの確信が、我々に「祈り」というものが与えられていること、である。