補完神学の提案31

そのような流れを考えるなかで、私はこのような三位一体論を用いて、歴史的になされたきた、まずは「1」を強調し、「1」の強調の後に、「1」と「1」の間に「=」の論理を引き出すの道でよかったのであろうかと思うようになった。つまり、父=子、父=聖霊、子=聖霊 父=子=聖霊、とまではいかなくとも、三位一体論も「1」と「=」で考え抜こうとする方向性から一旦解放される必要があるのではないか。つまり、今までの「=」ではなく、正反対の「≠」の論理から初めてみてはどうだろうか。つまり本当の対話というものは、一般の論理とは違う、「≠」の論理から生まれるのではないかということにも注目してはどうだろうかと考えてみた。これは初代教父時代の「否定神学」に類似しているかもしれないが、これは「二、三人間の対話」という希望に基づいた上での「否定神学」とも言えよう。