2019-05-24から1日間の記事一覧

補完神学の提案25

私は、「三位一体」を客観的に神学することの限界をずっと感じてきていた。罪意識さえ起こる分野であった。「三位一体」を神学的対象とすることはもってのほかではないかと思いつつも、そのようにしてきたのである。そのようななかで、ブーバーとの出会いに…

補完神学の提案24

私にとって、幸運なことは、マルティン・ブーバーを知った後に、「三位一体」間の関係性に関心が向いたのではなく、最初に「三位一体」の関係性を追求しているなかで、「三位一体」とは無縁のユダヤ教哲学者マルティン・ブーバーの「我と汝」を知ったという…

補完神学の提案23

「これ一本では飽きられるよ」との恩師の声を気にしつつも、もはや私が使用し続けたい座標軸は、「存在」か「関係」かという座標軸でなく、「共同体」か「個人」かという座標軸でもなく、「人格関係」か「非人格関係」かという座標軸にシフトしていくことに…

補完神学の提案22

私はマルティン・ブーバーを読むことで、それからは、今まで頻繁に使用してきた「関係」という用語でなく、「人格関係」という用語に惹きつけられていくことになる。結果的に、私はすべてのことにおいて、「人格関係」(我と汝)と「非人格関係」(我とそれ…

補完神学の提案21

実は、私は「二、三人の神学」という按手礼論文を書いた紀元二千年の時点で、まだ、私に大きな影響を与えてくれたマルティン・ブーバー(ユダヤ人哲学者)を知らなかった。彼のことを知るようになったのは、私の按手礼論文を丁寧に読んでくださった阪神地域…

補完神学の提案20

さて、私が按手礼のために按手礼論文「二、三人の神学」を教団に提出した紀元二千年頃は、確かに、私は「関係」という用語を多用していたように思う。しかしある時から「関係」という用語を控えるようになり、その分「人格関係」と言う言葉を多用するように…