補完神学の提案38

もう一方で「二、三人の共同体」から広がるネットワークとしての固有の共同体でどこまでネットワーク化できるかはわからないが、もう一方で確かに、「二、三人の共同体」ではなく大きな共同体の侵入を受けている。教会に100人が集まる時の礼拝形式は、「二、三人の共同体」のネットワーク化としての100人など無理な話である。そこには「二、三人の共同体」には追いつかない、大きな共同体があり、また教派があり、本部があり、わからないが、公同の元の元がある、お上があると信じているのである。いわゆる「公同教会」なるものがあると信じているのである。