補完神学の提案39

ここに私の「二、三人の神学」の特徴がある。「二、三人の神学」は「マイノリティーの神学」である。しかし「マイノリティーの神学」はマジョリティーを視野においた神学でもある。「二、三人の神学」は絶えず公同を視野に置く。カルヴァン派のアンチテーゼの神学ではあるが、同時にカルヴァン派を視野に置かざるを得ない神学でもある。つまり「二、三人の神学」では、「二、三人の神学」として手におえない「国家」というものがあることを認めざるを得ない神学でもある。であるから、「二、三人の神学」は、過去の「キリスト教世界」(クリステンダム)を認めざるを得ない神学であり、「キリスト教世界」のあらゆる権威主義的な物語を認めざるを得ない神学でもある。認めることは認めるが、我々はその生き方をしたくない、という選択をする我々だということである。アナバプティズムは体制というものが存在して初めて生きることができる立場でもある。私たちは政治の暴力性の存在を残念ながら認めざるを得ない。しかし私たちはその生き方を選ばない、というのがアナバプティズム的な生き方である。その点でスタンリーハワワースの「暴力の世界で柔和に生きる」に共感するものである。