補完神学の提案47

さて、また私は一方で、教会音楽に関心を持つ牧師でもある。私の「二、三人の神学」はラルシュには近づいたが、私が夢見る教会音楽からは離れてしまいそうである。私の夢見る教会音楽はいつも大きなものと結びついてしまう。つまり非人格的な多人数と結びついてしまうのである。たとえば、四人以上で美しい和声となることからしてそうである。また人数が多いと生じる倍音の魅力は、どう考えても「二、三人の神学」的ではない。多くの人数の調和のためのコントロールには、非人格的なリード、テクニックがどうしても必要になってくる。教会においては美しい音楽はいつも、大教会をイメージするものである。また指導者、指揮者の強いコントロールもイメージしてしまうのである。「二、三人の神学」を追求したい私が、もう一方で礼拝音楽の豊かさを追求したい私であることはなんと悩ましいことだろう。礼拝音楽は「二、三人の神学」とは全く違う領域に属することを認めざるを得ない。4以上のなかにある、音楽の美しさは、非人格関係的領域に属するものなのだろうか。天使の賛美も非人格関係的領域に属するものなのだろうか。